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6.282020
声をあげるということ

私は、大学の卒論でFamilishをフィールドに重度訪問介護事業所の地域での役割について書きました。
学生の頃は、とにかく介助について今よりもずっと考えておらず、論文を書くということ、テーマをもっと絞るということ何もかも不出来で、今でも担当の教授には申し訳なく思っています。
しかし、その時に少しこれまでの障がい当事者運動や制度の変遷などを調べ、またFamilish でも様々な研修などで当事者の方の話を聞く機会がありました。
私も障がい当事者運動が最も盛んで、実際に社会を動かしていた時代を肌で感じたことがないので想像でしかないですが、当時は相当の熱量と覚悟をもって当事者の方々は生きてこられたのだと思います。
現在も多くの方々が全国的に活動されているのだと思いますが、障がい福祉という分野で生きている私も中々普段から意識する機会は多くないのかと思います。もちろん一重に障がい者運動といっても様々な方法や考えがあると思いますが。
それには現在の日本の社会的な空気感や、運動の結果として様々な人が人権をしっかりと認められるようになったということもあるかと思います。
ただ、当時障がい者運動と呼ばれる一連の社会の変革を望む動きには1人1人の願いや強い想いがあったのだと思います。
それは現在の日常においても、障がいがある、なしに関わらず、とても大切で尊いものなのだと私は思います。
人がどのように生きたいか
どんなに小さいとこでも、かたちはどうあれ、それを表現することが全ての始まりなのだと私は考えます。
ただ、今回は夜中に考えているので文章もおかしいでしょうし、おかしなテンションで何を言っているのかわからないのではないかと思います。
気になる方はコメントや直接守永にご連絡下さいm(_ _)m
守永
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